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2008年2月

2008年2月12日 (火)

“ちきゅう”一般公開

新宮港で地球深部探査船“ちきゅう”の一般公開がありました。2/9、10の午前10時から午後3時まで人数制限は特になしでした。

10日の朝9時半くらいに新宮港に着くと、すでに駐車場には数十台の車が並んでいました。これは出るのがちょっと遅かったかなと列の最後尾に並んで見ていると、時間前なのに上がっている人々の姿が見えました。15分程度の待ち時間で順番がやってきました。番号が書かれたチケットを渡され、その番号と名前を記帳します。乗船するときに半券、下船するときにもう半券を渡しました。

「ちきゅう」の目的は上部マントルの試料を採取することと、巨大地震震源地の観測や地下生物圏の探査です。130m(船底からの高さ)の掘削やぐらからパイプを吊り下げ、海底推進2500m下の海底から更に7000mもの地球深部に掘削して泥を採取してきます。それらを抜き出して1.5mくらいに切って、その中身を調べます。地底を掘削するドリルの先にはダイヤモンドが使われています。


操舵室、居住区の一部屋、医務室、研究棟、掘削フロア、パイプラックなど階段を上がったり下りたりして内部をかなり歩きました。研究員の方たちもポイントごとに配置されて説明もしてくれました。

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←海底から取り出されたコア(泥の部分)です。
まだこれから研究に使うので、「さわらないでください」と書かれています。




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Dsc00115 Dsc00116 ←まだまだ列は続いていました。午後からは風が強くなってきたので、公開中止になってしまいました。




パンフレットとボールペンがお土産でした。

その他グッズも売られていて、Tシャツ、キーホルダーなどがいくつか種類がありました。二年ほど前の映画「日本沈没」で使われていた「しんかい」のキーホルダーもあり買ってきました。


探査船“ちきゅう”に想いを馳せれどもちきゅうちきゅうと後は続かず (爽)

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2008年2月10日 (日)

本宮の雪と初指名

昨日は本宮で研修がありました。山登りや古道ウォークというわけではなかったので、天気も全然チェックしておらず、朝 家を出るときに「あっ、今日は雨か。」と思った程度でした。

168号線を本宮へ向かって車を走らせていると、いつの間にかフロントガラスにあたっているのは雪のようです。本宮へ近づくほど道路沿いは白く積もり始めていました。帰りは夕方になるし、車は普通のタイヤだし、大丈夫かなと、頭の中の雪の比重も次第に積もっていきました。

いつもなら遅くとも30分前には会場に着くようにするのですが、途中買い物に寄ったので、着いたのは20分前でした。「あっ、来た!」と顔なじみになっている研修生の声が聞こえました。この雪で、メンバーがどのくらい集まるのか話していたようです。

研修が始まる前からもう皆帰りの心配です。1コマ終了後には田辺方面への道はチェーン規制がしかれたとのニュースが入りました。新宮経由で遠回りして帰れないこともないけれど、時間やガソリン代を考えると、こんな機会に温泉に泊まろうかと男性陣5名は早々と宿泊先を探してもらっていました。

新宮方面は大丈夫だろうと聞きましたが、暗くなると凍結の恐れもあるので、その日の講義はそれぞれ少しずつ短縮になり、予定より1時間早く帰れることになりました。

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うっすらと熊野の山の雪景色緑が負けて白が大勝 (爽)


そして本日。二日連続の研修で今日も本宮行きでした。雪はほとんど溶けていました。

自宅に戻ると嬉しいニュースが一つありました。昨年12/23に『温故知・新宮』(ルート:新宮駅~神倉神社~寺町~速玉大社)でたまたま私がガイドした名古屋からのお客さんが、また新宮に来てくれて私をガイドとして指名してくれたらしいのです。突然のことゆえ、留守にしていたので、残念ながらその方たちにお会いすることはできませんでした。先輩ガイドが代わりにつとめてくれたようです。「すごいよ、一年で指名されるなんてめったにないよ。」と言われましたが、考えてみると、熊野に来て一年余り、ガイド研修が始まって8ヶ月、実際にガイドの仕事を請けてから3ヶ月です。「そうか・・・」といろいろ思い出すと、じわじわと嬉しさが増してきたのでした。

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2008年2月 7日 (木)

熊野曼荼羅33ヶ所めぐり(26~33番)

先日、熊野曼荼羅33ヶ所の26番から33番までを訪ねてきました。 あいにくの雨で写真が撮れたものだけ、書いておきます。

第26番 龍谷山霊巌寺

数年前に熊野本地仏曼荼羅の版木が発見されました。ちょうど「涅槃図」も掛けられていました。これは一生に一度はどんなことがあっても拝んでおけと言われているものです。

Dsc00071 お寺の裏の岩山




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第29番 潮御崎(しおのみさき)神社

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Dsc00078 潮岬灯台




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第32番 南昌山草堂寺

熊野古道大辺路「富田坂」のスタート地点にされるところです。芦雪ゆかりのお寺とされていますが、芦雪の作品は串本の無量寺境内芦雪館で見ることができます。


Dsc00086 Dsc00082_2 Dsc00083_2  草堂寺観音堂 一本の欅から造られているといわれ一木堂とも呼ばれています。富田坂はこの一年で3度歩いているので、この草堂寺も3度来てますが、一木堂の中に入るのは初めてです。






第33番 松尾山聖福寺(しょうふくじ)

Dsc00091 ここで「千の風になって」を聴くとは思いもしませんでした。




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イケメンの住職さんに古の青年僧の姿偲ばれ (爽)

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2008年2月 6日 (水)

ニフティ 22年と聞いて

今日は朝6時に起きて山の用意していましたが、あいにくの雨で中止となりました。 出鼻をくじかれた感じで、妙に中途半端な一日になってしまいました。 おまけに眠気までもが中途半端に襲ってくるという始末で・・・。 というわけで、ブログ記事を書いてます。

メールを見ていたら、ニフティ誕生22年だそうですね。 私のニフティとのお付き合いは11年を過ぎました。 ちょうど半分です。 パソコン(その当時Mac)を使い初めて一年後にニフティのメールアドレスを取得し、インターネットの世界に入ったのでした。 その割には(私の)PCの扱いがあまり進歩してないような気もしますが・・・。

初めてのメール送受信には「メールテスト」なんてタイトルをつけて、やり取りしてましたね。 懐かしいですね。

それから掲示板への参加。 最初は見るだけだったのがついついコメントしたくなり、時にはバトルに巻き込まれたり・・・。 思い出すと楽しかったです。

そしてブログ開設。 興味半分で始め、性懲りもなく自分の頭の程度をさらけ出してしまっています。 もう今では開き直ってしまい、備忘録としての存在価値を認め、なんとなく続けています。

まあ、どれにしても、PCに向かって座ってしまうと時間があっという間に飛んでいくのは皆さんご承知のとおり。 だから時々PCのメールを見るのは一日一回にしておこう、なんて自分の中で決めるときもありますが、ダイエットと一緒でなかなか守られません。 もうこうなったら、PCを開かないでおこう、と忙しさにかまけて数日開かないでおくことがたまにありますが、それもつかの間。 なんてったって今日なんか朝からパソコン開いたまんま。


憂鬱な気分は雨のせいでなくぼおっとやる気のなさに原因 (爽)

「ヨッシャ~!」 自分にちょっと号令かけてみました。

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布引の滝、貴祢谷社

三重県紀宝町にあるいくつかの地点を巡ってきました。

Dsc00046 最初の目的地は、布引の滝。 滝というと、どんな道を登っていくのだろうかと思いつつ、なぜか急いで歩く前の人たちに離れないように足元ばかり気をとられながらついていっています。 この看板の存在は帰り道で気がつきました。

Dsc00037 Dsc00041 紀宝町には16ほどの滝があると聞きます。 布引の滝に行くまでにあった「清浄の滝」。 このあたりは夏だと子ども連れで泳ぎに来る人がいるそうです。



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Dsc00039 Dsc00040 水量は少なかったけれど、一枚岩から流れる姿を見上げると、「ほう!」という声が出ます。 滝壺はないと聞きましたが、登れるところまで登ってみました。 そうしたら滝壺はやはりなかったです。


Dsc00042 Dsc00043 高野坂でお馴染みのカギカヅラがありました。 新芽です。 いつ見てもカギがかわいい。 このカギの部分が漢方薬に用いられ、鎮静作用があるそうです。



Dsc00044 Dsc00045 鮒田発電所跡・・・このあたりは発電所があったために「電気の谷」と呼ばれていたそうです。 湯ノ谷の急流に着目して明治32年開設されましたが、地元に電灯が灯るのはそれよりまだだいぶ後のようです。






Dsc00052 Dsc00047 Dsc00048 弁慶産屋の楠跡・・・弁慶の誕生の地が鮒田とする古い伝承資料も残っているそうです。 幹周りが約24mにもなる大きな楠がありましたが、残念ながら今は跡形も残っていません。


Dsc00049 Dsc00050 Dsc00051 近くにこんな物もありました。









Dsc00053 Dsc00054 Dsc00055 昨年、蛍の生息地を探しにこの道を通りました。 そのときに、「弁慶橋」という名が見え、どうしてここに弁慶があるのか、弁慶の力石とかあちこちに弁慶の名をとったものがあるので、ここもその類かなぁと思っていました。 弁慶誕生の地とはまだ知りませんでした。

Dsc00056 「鮒田富士」と呼ばれている「尾子山(おじやま)」(302m)。 神宮城の本丸跡からもこの山の姿は見えるらしいです。



Dsc00057 四度目にして初めて「貴祢谷社」にたどり着くことができました。 以前からこの神社の名は、新宮曼荼羅の絵解きで何度か耳にしており、一度訪ねてみたいと思っていました。 同行者を替えて、車を近辺に停めて上り口を探しましたがなかなか見つからず、烏止野神社だけ場所がわかっていました。 今回はその上にある鵜殿城跡まで登っていき、そこから尾根伝いに貴祢谷社へと廻っていきました。

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別の道から石段を降りていくと、矢渕中学のグラウンド横に出ました。 ここから入ると分かりやすいです。 ただ、学校の敷地内を歩くので、どこからかチェックされているのかなとちょっと気になりました。

Dsc00066 Dsc00067 Dsc00068 熊野川河口と航海安全を祈願して建てられたという宝篋印塔。 紀宝町HPによるとこの下に石経三千個が埋められているそうです。





古の熊野古道の点と線私の中で繋がっていく (爽)

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