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2007年9月

2007年9月28日 (金)

大辺路 富田坂

9/22 大辺路語り部講習の現地研修2回目。 今年の2/26(ココ)以来、富田坂を歩くのは2回目です。 そのときにサポートとしてお見かけした何人かの方たちも、今回の講習に参加されています。

同じ道季節変われば疲労度の差もありそれもさもありなん (爽)

草堂寺の石垣に沿って、横の細い道から入っていきます。 2月のときにはここで後ろから写真を撮ったんだなぁなんて思い出しながら歩いていました。 「一里松跡」や「要害山城跡」の案内板などは、スタート地点からもっと離れていた気がしましたが、意外と歩き出してすぐでした。 

「七曲り」も、7回より多く曲がり角があったような記憶でしたが、語り部さんによるとちょうど7回みたいです。 安居辻松峠を過ぎて前回は急な下り坂を行きましたが、今回は時間の関係もあり、歩き易い道を選んでいるようです。

Dsc00422  ← テングダケ
真っ白いゴルフボールのようでした。 かさの部分が大きくひろがって、まるで屋外用のテーブルのような形のものもありました。
キノコ類はたくさん出ていて、みんな「ああ、これがマツタケだったらなぁ」と言っていました。


Dsc00423  ← カンアオイ





「祝の滝」の案内板近くのゲートでは、天候の悪い日に観光客を連れたツアーガイドが道に迷った事件があったと聞きました。 うす暗い中、ゲートを閉められているとドキンとしますね。 よく山道でも猪や鹿避けのためにゲートをつけているところがありますが、都会の感覚だと、間違ったところに来てしまったのかとヒヤッとします。

この日も暑かったけれど、あまり寄り道をしなかったせいか、あっという間にゴールの「安居の渡し場跡」へ着きました。

高野坂で学習した「シマサルナシ」、「ハスノハカズラ」、「ママコノシリヌグイ」などの植物もありました。

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白浜

9/21 山行を予定していましたが、あいにくの雨模様で、急遽白浜まで観光に出かけました。

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 ← かの有名な「千畳敷」
観光バスが来ては帰っていきました




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 ← こちらは「三段壁」




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 ← 白浜の町並みが見渡せる「平(へい)草原」




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 ← 白浜空港へ着陸する飛行機




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 ← 和歌山県内に14ある三角点のひとつ。
 前に下里にある八郎山でも見ました。



「とれとれ市場」も見てきました。


絵葉書で見るのと変わらぬツアーより体験型が好まれるわけ (爽)

自然の中の熊野古道を汗して歩くことで、空になり、気を感じる、そういう素晴らしさを体験できる幸せに感謝した一日でした。

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高野坂のガイド

世界遺産の参詣道に係わる県内の語り部団体との研修交流会が9/19、新宮で開かれました。 参加団体は10、全員で66名でした。 遠くは高野山地区からで、6時にバス出発されたといいます。 午前中は、新宮ガイドの会から新宮曼荼羅の絵解きが披露され、その後各団体の紹介や報告などの時間がありました。

中でも私が気になったのは、あってほしくないことだけれど何か事故等の緊急事態が起こったときの対処の仕方です。 ある団体から、最近そういうことがあり、不測の事態が起こったときの対処方法などの勉強会の必要性を認識したとの話がありました。 災害のときの準備や心構え、非常のときの連絡方法などの確認など、ついつい身につまされてから真剣に準備しようという気になりますが、ガイドとしての立場上、いくらボランティアとはいえ、そういう勉強もある程度は必要だと思いました。

午後からは、少人数ずつ分けて高野坂を歩く予定になっており、このウォーク、実は私はついていけばいいだけかと軽く考えていたら、2日前になってから、私もガイドするメンバーに入っていることを知りました。 親切な先輩ガイドの方が前日(9/18)の午後、一緒に勉強に連れていってくれることになりました。

以下は前日、9/18の出来事です。

しばらく高野坂は歩いてなかったので、午前中にまず自分なりの下調べに父を連れて一往復していました。 帰ってきたところにちょうど別の先輩ガイドの方がひとりでやはり下見に来られていて、ご一緒させていただくことにしました。(2往復目)

いったん家に戻り、出直して午後からもう一往復。 結局その日は、片道1.5kmの3往復で合計9km歩いたことになります。 ガイドする上でのはずさないポイントとか、古道沿いの植物の名前など中心に教えていただきました。

そのときに見た植物より

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 ← ハスノハカズラ




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 ← ナンバンギセル
ススキなどの根に寄生する植物だそうですが、単独で咲いているように見えました。



Dsc00362  ← サフランモドキ
 これは帰化植物です。
 古道沿いの個人の畑にもこの花が咲いており、古道の植生保全という見地からは、どうなんでしょうね?



はい、ではここで、9/19に戻ります。 高野坂ガイドデビューの日です。

広角のバス停に先回りして、バスからお客様(語り部さんたち)を迎えるところまでは良かったのですが、1班から順にお連れするはずでしたが、バスが思いのほか早く着いたために予定が狂ってしまい、班毎のメンバーがそろったところから出発することになりました。

と、ここで問題発生。 先にメンバーそろった班のガイド(私も含めて)は、そのバス停から古道へつながる早道を知らなかったのです。 予定通り一班から順に歩きはじめられれば、そんな問題も起こることもなかったのですが。

次に来たガイドが道をわかっていて、違う方向に10歩ほど歩いただけで、それほどの時間のロスはありませんが、ちょっとカッコ悪かったです。

自作のアンチョコ(ガイド用メモ)を片手に、一通りの説明はできたつもりです。 前日覚えたナンバンギセルは、その近くでの休憩中の人たちの多さに関心がいき、すっかり忘れそうになっていました。 別の班のお客様の会話から、そうだった、と思い出してお連れしました。

ゴールの駐車場に着いてからは、全員が到着するまでに20分ほど時間があるので、新宮市内の主だった観光ポイントの写真を自分で用意しており、しばらくはそれを見せながら、話をしていました。


教訓としては、予定はそのとおりにいかないこともあり、スタート地点の駐車場からゴール地点の駐車場まで、下見は必要ということがわかりました。

ガイドでの下見は初めの一歩から最後の最後の一歩まで (爽)

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世界遺産の保全活動

9/17 世界遺産の保全活動の一環として、熊野古道の植物の勉強をしながら、除草活動をする企画があり参加してきました。

中嶌章和氏と瀧野秀二氏による、熊野地方で見られる帰化植物の講演を聞き、バスで伏拝王子付近に移動しました。 新宮市は、一年のうちの最寒月の平均気温は鹿児島と同じくらい高く、最暖月の平均気温は高知や鹿児島より少し低く、それにずば抜けて多いのが年間降水量です。 それで北の方から来た植物も、南の方から来た植物も、生きることができる土地なのだそうです。

もともとその土地になかった植物や原産地が外国のものは、100年以上経過していても帰化植物であることには変わりなく、気候・風土に合ったから繁殖しているわけなので、一般的に見た目は綺麗に感じたとしても、それに影響されてもともとの植生が変わってしまう危惧もあり、世界遺産のルートでは、できる範囲で除草していく必要もあります。

今回は、本宮町の町花でもある“ササユリ”の価値まで脅かされそうな勢いで繁殖を始めている“タカサゴユリ”の除草を、伏拝王子付近で行いました。

タカサゴユリは、観賞用として日本に持ち込まれた植物で、ちょっとテッポウユリと似ています。 ササユリとは葉のつけ方に違いが見られます。 球根部分の欠片や根っこが少しでも残っているとそこからすぐに芽を出し、早ければ一年で花が咲くまでに成長するものもあるといいます。 花の終わったあとは、大量の種もつけるので、繁殖力が強いらしいのです。

根こそぎ除草するために、和歌山県名匠大川鍛冶屋さん特注の草抜きを一本ずつ配られ、それでまわりから掘りながら取り除きます。 花にまで成長したものは、深く大きな球根で根も広がっており、途中で根を切らないように抜くのはけっこう大変でした。 5cm程度の草でも既にビー玉くらいの球根がついていました。 あまり小さなものは、素人では、他の植物とは区別つかず難しいです。 同じ区域を3年続けて除草すれば絶やすことができるだろうということでした。

日陰になった古道に入ると、もう帰化植物は見当たらず、今のところ心配ないようです。 

地元新聞では、いろんな花が咲くと写真付きの記事が掲載され、私もどんな花なのか見に行く場合もあります。 綺麗だとか、変わっているとか、その季節を感じる植物なので、いい目でしか見ていませんでしたが、咲く(繁殖する)場所によっては、本来の植生を脅かす『困ったちゃん』になっている場合もあるんですね。

古道沿い色鮮やかに咲く花のあるべき姿考えさせられ (爽)


下の花は伏拝付近で見かけたものです。 今回の『困ったちゃん』には関係ありません。

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 ← ヤブラン







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 ← ヒヨドリバナ







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 ← ハゴロモルコウソウ ?





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 ← ママコナ

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地球深部探査船「ちきゅう」

9/15から9/21まで新宮港に地球深部探査船「ちきゅう」が停泊していました。 全長210m、幅38m、総工費約600億円かけて造られた世界最大級の探査船です。 海に浮かぶ研究所ともいわれているそうです。 堀削タワー部分は船底からビル22階の高さに相当するそうです。

三輪崎の宵宮(9/15)の終了後、買い物がてら、「ちきゅう」を見てみようと新宮港に寄ってみてビックリしました。 まばゆいばかりに光輝いているのです。 車で見にきている人たちも数台停まって、写真を撮っています。

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 ← 「ちきゅう」




久々に楽しむ夜景の光源は港に停泊中の「ちきゅう」 (爽)

あまりの美しさに携帯から家族に電話して、すぐ迎えに行くから家の前で待っているように言って、往復しました。

数日後の紀南新聞の記事によると、一般家庭50軒分の明るさだったそうです。 

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三輪崎鯨踊り

さて、9/15 大辺路ウォーク(田辺市北新町~草堂寺)から帰り、その夜は新宮市三輪崎のお祭りの宵宮。

「三輪崎八幡神社例大祭」は、漁労加護、五穀豊穣、商売繁盛などを願って、三輪崎漁港付近にあった元宮に神様が年に一度里帰りするお祭りです。 毎年、お祭りの日に合わせて、故郷に帰ってくる人たちもいます。 神輿や山車が練り歩く通りには、シイシバの木が家の前に飾りつけられています。

Dsc00292 「剣の舞」
数年前からお祭りは二日に渡って行われるようになったといいます。 本日、宵宮には神社での神事のあと、獅子神楽が奉納され、夕方からは町内の通りの何箇所かで獅子神楽が行われました。



Dsc00323 Dsc00328 Dsc00333 翌16日午後から神社から「神輿渡御(とぎょ)」に伴い、「恵比寿」、「大黒天」、「二十四孝」の山車が引かれ、山車と山車のぶつかり合いなどもありました



Dsc00338 Dsc00350 Dsc00353 漁協前の広場で「獅子神楽」や「鯨踊り」、地元のいくつかのグループの踊りなどが披露されました。 天候不順で時折小雨が降りましたが、すべて予定通り行われました。

17日夜には「三輪崎総踊り」が、20日夜は、それらすべての集大成といった感じでの「舞込芸能大会」が行われました。

Dsc00396 「椿の舞」
獅子には雄獅子と雌獅子があり、舞は7種類あります。





Dsc00398 「天狗の舞」・・・獅子が眠っているところに天狗があらわれ、戯れはじめる。 獅子が目を覚まして襲いかかるが、天狗はひらり、はらりと翻弄し、追い払うさまを演じる。
天狗を演じるのは小学一年生の男の子です。
これが30回目(最後)の舞だそうです。


天狗役舞う少年を全員が我が子のように目を細めて見る (爽)

Dsc00402 「扇の舞」
宵宮で見たときより、会場のクーラーが効いていたせいもあるのか、どれも熱演で、明るいところで見ると、獅子の小刻みな動きにも芸術的センスがうかがえ、素晴らしかったです。



Dsc00405_2 鯨踊り 「殿中踊り」・・・網を投げて鯨をとりまく形を踊りにしたもので、銛(もり)に仕立てた紅白緑の綾棒を腰に、手には網に仕立てた日の丸の扇を持って踊る。


鯨踊りは、三輪崎で捕鯨が始まったころからあり、水野藩主が京都の公家に鯨の肉を献上した際に踊りとして整えられたといわれています。

Dsc00407 鯨踊り 「綾踊り」・・・座って上半身で踊る。 綾棒を手に銛(もり)を投げて鯨を突く形の踊り。
踊りの衣装は、大海原を表す白地に鯨・鯛・陸地を表す黒・赤・緑の縞模様になっています。

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大辺路(田辺市北新町~富田草堂寺)

9/15の出来事です。

平安の昔に、熊野御幸の公式ルートであった熊野古道、中辺路に比べて、文人墨客が好んで歩いたといわれる海の見える熊野古道、大辺路。 中辺路を歩き通した人たちにとって、最近はその大辺路に興味が移りつつあるらしい。  現在、和歌山県主催の大辺路語り部講習が開かれていて、私も参加している。 7月から続いている講習も、講義が終わり、現地研修へ入って、今日がその一回目にあたる。 大辺路の中でも、世界遺産に登録されている富田坂・仏坂・長井坂に比べ、今回のコースはまだウォークの企画が少なく、私も初めて歩く。

田辺市北新町から富田草堂寺までの古道約15km。 アスファルトの道路が多いと聞く。 紀伊田辺駅出発で、田辺観光ボランティアガイドの方々に語り部として案内してもらう。 昨夜から天候を心配していたが、歩き始めてすぐにもう雨が降り出してきた。 いつもなら折りたたみの傘を使うところだけど、今日はずっと雨の中を歩くことになるかもしれないと思い、他のメンバーの真似をして車から長い傘を持ってきて正解だったようだ。

語り部さんに話を聞くと、ここは中辺路と大辺路の分岐点になっていて、大辺路のガイドを頼まれる回数も少しずつ増えてきたと言う。

駅前商店街から「親不孝通り」と呼ばれる居酒屋やスナックが並ぶ路地を抜けていくと、呉服屋さんの前にある北新町の有名な道標のところに来た。 「右  きみい寺 左 くまのみち」と標されている。 

蟻通(ありとおし)神社の名の由来は、その昔、外国の使者がやってきて、持ってきた法螺貝に一本の糸を通してみよ、という難問を出されてみんな困っていた。 一人の若い神様が「私が通してみせまよう」と言って、貝の口から蜜を流し込み、糸を結び付けた一匹の蟻に通り抜けさせた。 そのことから、蟻通の神、今では知恵の神様とあがめられているそうな。

闘雞神社・・・弁慶の父、熊野別当湛増(たんぞう)が、源平合戦の折に、どちらに味方するか紅白の鶏を闘わせたという神社。

雨傘もそのまま日傘に早変わり熱中症の防止にもなり (爽)

ぎおんさん夜見世の通りから大潟神社、新庄峠を少し上り、糠塚。

櫟原神社境内で昼食。 雨を避けてそそくさと食べる。 あまりの暑さにガブガブ飲むお茶が即、汗となりしたたり落ちる。 休憩中にお茶をもう一本買いに走り、ついでにアイスクリームも買って食べる。

郵便ポストのかわいいモニュメントがある郵便橋を渡り、延々とアスファルトの道を歩く。

日(にち)神社を見て、そしてゴールの草堂寺へ。

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雨と暑さでへとへとで、小まめに写真を撮る気力はなかった。 またそのうちに歩く機会もあるだろう。

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釈迦ヶ岳(1799.6m)~孔雀岳

久々の記事更新です。 この2週間の出来事、書きたいこといっぱいあるのにパソコンにゆっくり向かう時間がありませんでした。 とりあえず、昨日の山行、記録に残しておきます。 時間があれば、さかのぼっていくかもしれません。

ということで、釈迦ヶ岳に登った話です。

「大峯はもう涼しいと思うよ、紅葉始まってるかな?」という知人の言葉に、Tシャツの上に羽織る長袖シャツを夏用の薄手と少し厚めのポリエステルのものと両方用意しました。 それにカッパ上下、傘、ウィンドブレーカー、リュックカバー、スパッツ、食糧と、飲み物(お茶)は1.5ℓ。

ルートは、初心者の私に合わせて旭口から登ることに。

「片道3~4時間くらいかかるのでは?」と別の友人から聞いていましたが、2時間で到着。 その代わり、カーブの連続で車に酔う。 道には小さな落石がそこここに。 工事車両も何台か停まっていた。

登リ口の駐車場にはすでに車が4台。 思っていたほど寒くもなく、天気も上々。 上着は夏用の方に決める。

靴を履き変えていると、「これ、重すぎるよ。」と私のリュックを持った友人。 「何入ってるの? 自分の体力に合わせた荷物量にしておかないとダメだよ。 要らないものは抜いてけ。」と言われ、カッパとリュックカバー、スパッツとお茶一本を車に残す。

準備している間に、車が2台、小型バスからは大学生くらいのグループ十数名がどどっと降りてきた。 「早く出発しないと団体に巻き込まれるぞ。」と出発。 8:20


Dsc00443 登リ口の階段を登っていくと、ささが生い茂った道には、ところどころぬかるみがあり、木を置いてくれているところもありましたが、やっぱりスパッツつけておいた方が良かったかな、と少し後悔。



Dsc00445 「あれが大日岳だよ。 形がわかりやすいでしょ。」
「ふ~ん。」
「ふ~ん、じゃなくて、『はい』って言いなさい!」と年配の同行者に叱られる。


Dsc00446 これが目指す釈迦ヶ岳。
少し首をかしげた姿が特徴。
うん、かわいいかも。



Dsc00448 途中の水呑場。
「上にトリカブトが咲いてるけど、大丈夫かな?」という人の声にも、さほど心配もせず、ほんの一口だけすすってみた。
冷たくて、まあまあ。


Dsc00452 Dsc00454 それほど大変でもなく、2時間で頂上に到着。 10:20
頂上付近、ハエの集団がときおり襲ってきた。
なるほど眺めは360度。
釈迦像の真正面からは全体の写真は撮れず、斜めから撮ることに。

「孔雀岳に行くのなら昼食を食べないで行った方が・・・」と言いつつ、私の足で行けるかどうか、考えあぐねている同行者を尻目に、さっさとひとりお弁当を平らげる。 登る前に少しお腹に入れようと思っていたのに、車に酔って気持ち悪かったので、まだ10時半だというのに、お腹ぺこぺこだったのだ。 朝食が5時頃だったのだから、お腹が空くのも当然か。


Dsc00451 「ほら、あれが孔雀岳、それがゾウの鼻。」
「ふ~ん」
「ふ~ん、じゃなくて、『はい』。」
「はい、はい(笑)」
(孔雀岳の写真これでいいのかな?)

頂上にいた何人かのグループが孔雀岳を目指していった。 私だけリュックをそこに置いて身軽にして、みんなと一緒に行ってみることに。 正確に時計を見ていないが11時近くだったか。 いきなり急な下りで、身が引き締まる。 日焼け防止も兼ねていつも手袋をしているのだけど、岩場のところは素手の方が危なくないからとぬがされる。 鎖場も3ヶ所くらいあったのかな? 「両手で鎖をしっかりつかめ! ほら、命がかかってるんだから。」と脅されてひやひや。 片側断崖絶壁なんてところもあった。 「下を見るな!」 「手で岩をしっかりつかめ!」 鬼コーチの声がすかさず飛んでくる。

急な下りはどうしてもしゃがんで進んでしまい、「ほら、まっすぐ立って歩け! そんなへっぴり腰だと余計すべるぞ!」と言われても、無理無理。 前の人との距離が開き、少しなだらかな道になったとたん、スピードを上げようとすると、「慌てるな、こんな道ほど危ないんだから、気を抜くな。 同じペースで歩け。」

孔雀岳の頂上まであと10分ぐらいの眺めのいいところまで行って戻ってくる。 5、6分の休憩だったか? 釈迦ヶ岳にもどる最後の急登部分は、のどカラカラでへたばって、「はぁ~、ふぅ~」とつい声を出すと、「ほら、しっかりせい! あともう少しなんだから、ここで投げるな! みんなきついんだよ!」と後ろから叱られる。 「エエ~ン」と子どものように泣きそうになるけど、のどカラカラで声も嗄れそう。


ついていくだけで自分で時計を見る余裕がなかったけど、釈迦ヶ岳から孔雀岳まで往復2時間余りかかったのかなぁ。 釈迦像が見えたときには「ああ~!」 やっと着いた~という思いがこみ上げてくる。 置いてあったリュックからお茶を取り出すと、一気に300ミリくらい飲み干す。 なんとか釈迦ヶ岳には戻ってこれたけど、このあと、駐車場のところまで下りられるのか、自分にそんな体力あるのか、一抹の不安。

10分くらいの休憩後、「さあっ、下りようか。」と促される。 まあ、下りるしかないのだけど。 13:20

特に足もどうってこともなく、急なところは相変わらずしゃがみながらなんだけど、なんとかすっすっと下りていけた。 

Dsc00455 「ほら、あそこにシカがいるよ。」 
「うわっ!」 
「あそこにも、2頭。 (人に)慣れてるんだね、逃げないね。」
西大台でもシカには会えなかったのに、ここで初めてシカに遭遇。 なんかいっぺんに疲れが吹き飛んだ。


Dsc00457 振り返って、登ってきた釈迦ヶ岳を今一度見る。
ちょっと名残惜しいような・・・。

駐車場到着 15時ちょうど。


優しげに首をかしげた釈迦ヶ岳見守られてか手を振りたくなり (爽)

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2007年9月14日 (金)

10/28 東京で熊野学フォーラム

10/28(日) 東京で 熊野学フォーラム が開催されます。
  
  和歌山県新宮市主催 <熊野学フォーラム> “くまの新宮文化の精華”

    開場:12:00  開講:13:00~17:00  参加費無料
    会場:明治大学アカデミーホール(駿河台校舎アカデミーコモン3階)

    基調講演  辻原 登氏
    アトラクション  『新宮節』
    パネルディスカッション  「熊野への熱き思い」
    「熊野の霊場と熊野参詣道」写真パネル展同時開催

    詳細は新宮市ホームページをご覧下さい。 ⇒ 
こちら   

  ☆東京近辺の方、お気軽にぜひお越しください。 私も見に行くつもりです。

熊野への熱き思いをたぎらせていざ東京へそして熊野へ (爽)

 

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2007年9月13日 (木)

神倉さんのおじさんたち

先日、久し振りに神倉神社に行きました。 知人とここで待ち合わせです。 世界遺産マスターの腕章をして、境内に入っていくと、おじさんたちがベンチにずらり。 10人位いました。 ツアー客かと思いきや、地元の方のようでした。 「もう来るか、もう来るか」と人待ち顔でうろうろしていたら、中に顔見知りのうなづきおじさんがいました。

「今日はどうした?」
「いやぁ、世界遺産マスターというのになったので、ちょっと見に来たんです。」
「ほぅ。 で、ガイドするんかい? 立ちんぼか?」
「(笑)。 観光客の方がいれば、案内してもいいなと思ったんですが。」

知人が来るまでに、上ってこようかどうしようかと迷っているうちに、やってきました。 マスターの腕章と認定証を見せると、「頑張ったな。」と言って、何人かのおじさんたちに紹介してくれました。

お昼になってくるので、下の鳥居のところでおまいりして、一緒に食べに行くことになりました。 仲の町のキャロットというお店で、お尻が痛くなるくらい、2時間ほどおしゃべりして、というかほとんどこちらは聞き役ですが、いろんな興味深いお話を聞いてきました。

「心経書いてるか?」
「いえ、あれからは・・・。 あっ、そういえば高野山に行ったときに宿坊で書きました。 阿字観も体験してきました。」

そう、この方、神倉さんで知り合ったおじさんで、玉置神社まで連れていってもらったYさんです。 

神倉神社に戻ると、小雨が降り始めていてそのまま帰ろうとしたら、竹箒で掃除している別のおじさんの姿が見えました。 こんな雨の日でも掃除しているのかと近寄って声をかけると、
「ありゃ、貴方か、久し振りだなぁ。」
「はい。」
「どうしてるかな?と思ってたんだよ。 まあ、貴方のことだから元気でやってるとは思ってたけどね。 お母さんは?」
「まあなんとか。」
「半年ぶりぐらいか?」
「(笑)。 そんなに経ってませんよ。 2ヶ月くらいです。」
「それで、マスターは?」
「合格しました。」と認定証を見せました。
「そうか、頑張ったなぁ。 新聞に載ってたけど、貴方の名前を知らなかったから、はっきりわからなかったんでね。 これで名前覚えたぞ。 今度からは○ちゃんて呼ぶからな。」

「こんな雨の日でも掃除してるんですか?」
「昨日掃除しに来て、落ち葉を集めていたんだけどね、(今日)雨降ってきたから、濡れてしまうとあわてて来たんだよ。」
「そうそう、ここちゃんと見たことなかったんですよ。 こんなとこまで入ったことないから、どうなってるの?」
 ・・・
「ガイドもしなきゃいけないんで、またイチから教えてくださいね。」
「貴方になら、おじさんの知ってることは何でも教えてあげるよ。」
「はい、ありがとうございます!」
「じゃあ、今から上行くか?」
「はい!」と言ったものの、まだ雨が降ってるなぁと空を見上げたら
「大丈夫だよ。 もう止んでくるよ。」
「そうですか、じゃあ行きます!」
「今日は
何時に来たの?」
「11時過ぎだったかな。 Yさんとさっき会ってね、お昼一緒に食べてたんですよ。」
「今、何時?」
「2時半です。」

「上まで行くと3時半か。 お母さん、心配してるんじゃないか、ちょっと電話しとけ。」
「そうですね。」
 ・・・
「祓いの詞くらい覚えなさい。 心経とな。」
「うーん、なかなかねぇ。」
「声に出さないと覚えないよ。」

「貴方と初めて会ったのは、確か(上りに来たのが)8回目って言ってたね。 軽々と上ってくるので、『こいつはただものじゃないな』と思ったんだよ。」
「(笑)。 もう回数は数えてませんけどね。」

 帰りがけに、「おじさんいつもここにいるから、いつでも話に来な。 おじさんにできることはやってあげるよ。 」と言ってくれました。

神仏の前で人は優しくなれるのか人なればこそそのありがたみ知る (爽)

人との出会い、これからも大事にしたいなと思っています。
これもね、心のゆとりがあってこそ、時間も気にせずおしゃべりできるわけであり、それも、両親が元気でいてくれることが前提であるわけでして、ああ、みんなに感謝かな。

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2007年9月12日 (水)

滝尻王子~近露王子

9/9、滝尻~近露を歩いてきました。 二回目になります。 今年の2月に滝尻王子~牛馬童子まで80名くらいの団体のウォークに参加しました。 その時は、約14kmを先を争うかのようにただ歩くだけで、古道沿いにある王子跡やそれらの標示板などもさっと見る程度でした。 滝尻王子からの最初の急登が少しきつかったことと、お昼の休憩をとった十丈王子での様子、ゴールの牛馬童子口から、せっかくここまで来たのだからと希望者だけ牛馬童子まで見に行ったことなどが記憶に残っています。 2/4 中辺路(滝尻王子~牛馬童子口)

今回は少人数だったので、ゆっくり見て回りました。 朝5時過ぎに新宮を出発して、ウォークゴール地点の近露王子の近くに車を停めて、そこから龍神バスで、スタート地点の滝尻まで行くことにしました。 通る車の少なく、新宮から近露まで45分で着いてしまい、バスの時間(7:11発)までには1時間近くもあります。 

Dsc00259 ゴールの近露王子を先に見ることにしました。 近露王子は初めてです。 意外に広く、前にベンチも置いてありました。 バス停を確認しに行って、まだまだ時間があるので、そこら辺を少し歩いてから、しばし車の中で待機。

Dsc00260 ← 朝の日置川(近露)




バスには眠そうな顔をした乗客が2人。 近露から滝尻までは20分くらいです。 バスの料金は500円くらいかと思っていたら、ちょっと高く720円でした。 滝尻王子の前に熊野古道館という建物があります。 一度入ってみようと思っていますが、時間の関係で今日もパス。 滝尻王子の隣のおみやげ物屋のおじさんが元気良く「おはようございます!」と声をかけてきました。 朝7時半過ぎ。 まだ時間が早いのか、団体バスは一台も来てないようです。 リュックを背負った女性二人連れが歩いています。

Dsc00261 滝尻王子は熊野九十九王子の中でも、五体王子(藤代王子、切目王子、稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子)の一つで、格式の高いところといわれています。 王子とは、熊野権現の御子神をお祀りしているところで、熊野御幸が盛んだった頃には、ここで皇族や貴族たちによる奉幣、歌会、神楽などが行われました。 滝尻王子は、熊野三山への霊域への入り口とされており、王子社の前には宝篋印塔と笠塔婆(熊野三百町石のひとつ)が残っています。 どうしても社殿の方に目がいき、今、考えるとあまり良く見てきませんでした。 次回は、ここをよく見てこようと思います。

王子社の裏から、いよいよ急登が始まります。 15~20分くらいで左手に「胎内くぐり」、右手には「乳岩」があります。 ここでのガイドで欠かせないのは藤原秀衡のエピソードです。 40歳を過ぎても子宝に恵まれなかった藤原秀衡が熊野権現に祈願をしたところ、願いがかない、夫婦で東北から熊野参りへやってきます。 秀衡の妻がここでにわかに産気づき、赤ちゃんが生まれたのが、「胎内くぐり」の岩屋。 それでここをくぐると、安産に恵まれるといわれています。 熊野権現のお告げで、赤ちゃんを岩屋に置いたまま本宮へ向かい、戻ってみると、赤ちゃんは岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて育っていたといういわれがあるのが「乳岩」です。 岩の下に小さな石仏がちょこんと置かれています。

「乳岩」のすぐ横を通り、登っていくと「不寝(ねず)王子」があります。 この名前の由来ははっきりとはわかっていません。 そして道標の1番があります。 この道標は滝尻王子から本宮大社裏手の祓戸王子の75番まで500mごとに建てられており、コースの確認や歩く目安にしたり、また何か緊急の場合の位置の連絡の際にも使えます。 この日は風もまったく無く蒸し暑い日でした。 近露の道標26番まで歩くというのに、1番でもう汗だくです。

観光マップにはその先に、歌声ポイント、ヤッホーポイント、ホラ貝ポイントなどが載っているのですが、見当たりません。 草むらの中にあったかもしれませんが、蛇がいそうなのでむやみに入っていくこともできず、ちょっと残念でした。

Dsc00262 高原(たかはら)熊野神社に着いたのが9:40でした。 足はなんとも大丈夫ですが、なにしろ暑くてたまりません。 まぶたの上からも汗が流れてくるので、目に入らないようにしょっちゅうタオルで拭いていました。 高原熊野神社は、前回の時には寄らなかったので、今回初めてです。 朱塗りの社殿は、熊野古道沿いの神社では現存最古のものです。 大きな楠がありました。 そこから100mほど先の高原霧の里休憩所に着くなり、一個目のアイスを食べました。

Dsc00263 昼食は11時頃、大門王子でとり、30分ほどの休憩。 それからも小まめに数分程度の休憩をとりながら、上多和(うわだわ)茶屋跡でも休んでいると、滝尻王子で会った女性二人連れが追いついてきました。 東京から新大阪経由で前日田辺に宿泊し、二日かけて本宮まで行くといいます。 もうひとり男性の方も何度か後先になりながら歩いていましたが、ここでまた抜かされるかと思ったら、「もう追い越す気力はありません」とのこと。

そこからは、ほとんど下りが続きます。 牛馬童子口まで一気に加速。 道の駅で二つ目のアイスと栄養ドリンク。 

Dsc00264 Dsc00266 20分ほど休憩し、牛馬童子像を見に行き、ゴールの近露王子へ。 近露王子へ向かう途中で、花山法皇が、少ない供の者を引き連れての熊野御幸の折、食事をしようとして箸を忘れたことに気付き、萱の茎を折って箸にしようとすると、茎から露がしたたり落ちたのを見て、花山法皇が「これは血か、露か」と言われたことから、牛馬童子のある峠を箸折峠、麓の里を近露と呼ばれるようになったといいます。 この花山法皇の天皇の座を追われる経緯などから、箸折峠でのこの哀しげな情景が目に浮かぶようで、胸にぐっときます。

Dsc00267 ← 近露





Dsc00271 帰りは、旧道を通り、「野中の清水」の前を通りました。 車が停まっていて、水をくんでいる人たちがいました。 「まろやかだ」と言っている声に誘われ、私も一口飲んでみました。 そこから100mくらい上ると「とがの木茶屋」「継桜王子」「秀衡桜」がありました。 藤原秀衡夫妻が赤ちゃんを滝尻の岩屋に置いて、本宮へ向かう途中の野中の里で桜の枝を桧の株に突き刺し、「帰りにこの桜が咲いていれば赤ちゃんは無事なり」と祈願して、帰ってくると桜の木に花が咲いていたという話から、「秀衡桜」「継桜王子」という名前がつけられたそうです。

Dsc00272 Dsc00273 ← 継桜王子





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 秀衡桜




次々に伝承続く熊野路のつきぬ興味に次どこ行こか (爽)

そうそう、家に帰ってから3個目のアイスを食べました(笑)。

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世界遺産マスター

え~っと、この度『和歌山県世界遺産マスター』に合格して、9/8に和歌山市で認定式がありました。 研修を受け、筆記試験と面接を受け、合格しました。 2期生になります。

実は、この世界遺産マスターのことは、このブログでは書かないでおくつもりでしたが、ひょんなことから、同じ2期生の方のブログを発見しまして、読んでいるうちに、「やっぱり私も書いておこうかな」という気になったのです。 今後、マスターとしての活動をブログ記事に書いたりする場合も出てくるかもしれません。  その時になってから、「実はこういう者です」というよりは、今この時点で、立場をはっきりしておいた方が、いいかなと思ったからです。 まあ、そんなに大げさに考えることもないのですが・・・。

世界遺産マスターとは、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の保全と適切な活用を推進するための民間ボランティアです。 この制度は、昨年度からスタートし、1期生は16名、今回の2期生は20名、和歌山県知事から認定されました。 主に、世界遺産及びその周辺地域でのパトロール 、そして、世界遺産関連地域情報の収集及び世界遺産センターへの情報提供、その他、セミナーや研修会、語り部活動等における普及啓発活動を行います。

この和歌山に引っ越してきて、まだ9ヶ月ですが、自然の素晴らしさにすっかり虜となり、古道(参詣道)や山歩きが、今や趣味の一つとなりつつあります。 1期生の方たちとも連携を取りながら、できることからやっていきたいと思っています。

また4時間かけて行くならどこに寄る?ネットで探す名所旧跡 (爽)

和歌山まで片道4時間(休憩入れて)、認定式の前に、認定式会場近くの県立博物館を見てきました。 そこでばったりマスター2期生の知人に会いました。 やっぱり同じようなことを考えてたみたいです。

Dsc00258 ← 県立博物館から見た和歌山城
和歌山城も、もう一度ゆっくり歩きたいですが、もっと涼しくなってからですね。

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2007年9月 7日 (金)

八郎山(249.6m)

下里にある八郎山には、和歌山県に14ヶ所ある一等三角点の1つがあり、標高が低い割に頂上から360度見渡せることで人気があると聞きます。 八郎峠に至る道は大辺路の一部でもあるようです。

今年3月から入会させていただいている山の会で9/5に行ってきました。 この団体は、60代70代の年配の方が多く、月一回の山行を計画されております。 7月の山行はあいにく雨で中止となり、8月はもともとお休み、今回3ヶ月ぶりでした。 まだ暑い時期なので、参加者は少ないのでは?と思いきや、バス一台補助席までびっしり満員でした。

コースは上田原から登り、頂上を目指し、中里へ降りてきます。 比較的楽と聞いていましたが、登リ口からすぐに傾斜のある上りが続きます。

はぁはぁと聞こえる人の息遣い負けん気起こし俄然ハッスル (爽)

午後から雨という予報でしたが、小雨まじりの風が時折強く吹きました。 帽子にはクリップ付きのストッパーをつけていましたが、それでも飛ばされそうで、ときどき手で押さえてました。 ミニ段築(版築)のような部分もありました。 頂上までの途中にも海まで見渡せるところもあり、山登りで海が見えるとやはり気持ちいいですね。 八郎峠にはお地蔵さんがあり、「お賽銭を盗むと2日以内にばちが当たるぞ」というような張り紙がしてありました。 そこから頂上まではそんなにかかりませんが、かなり急でロープを伝って登っていきました。 

頂上からは、少し曇っていましたが、烏帽子山も見えました。 「これだな。」と一等三角点を見ていると、リュックからメジャーを取り出して、「やっぱり18cmある。」と言っている人がいました。 あとから調べてみると、一等から四等まである三角点は、一等の標石が一番大きく18cm角だそうです。 

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頂上は、20名くらいしかのスペースしかなく、峠に下りて昼食となりました。 風がますます強くお弁当も飛ばされないように、早々と食べてしまうと、休憩時間一時間はちょっと手持ちぶたさ。 おばさんたちのグループだけが話が尽きないようです。 でも、バスの迎えの時間が決まっているので、早く出るわけにもいかないようです。 そこからは下りが続きます。 下りになると私はどうしても慎重になるので、どどどっと後ろから滑るように下りてくる人たちに先を譲ってあげて、自分のペースでゆっくり下りました。 道に出てゴールの中里会館までもう少しです。 道なりにほぼまっすぐ進んでいくと、迎えのバスが見えました。

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2007年9月 6日 (木)

根来寺・粉河寺

紀三井寺の病院へ母を連れていくついでに、ふと、根来寺へ行ってみようかと思い立ちました。 予約を入れていても、診察終わるまで数時間はかかるので(前回は6時間)、いつもその間にどこかに廻ってきます。 根来寺へは、聞くところによると、紀三井寺から一時間余りかかりそうで、時間的にちょっとどうかなとあきらめかけていました。 病院の駐車場で車のナビを試しに設定してみると、45分くらいで行けそうです。 「なら、えいっ!」と出かけました。 走る車も少なく、なんと35分で着きました。 飛ばせば30分以内も可能だったかもしれません。 駐車場も広く、車もけっこう停まっていましたが、下調べをしてないので、どちらに歩いていけばいいのかわかりません。 そばに民族資料館があり、水巻きをしているおじさんに聞いてみました。

おじさんに聞いたとおり、真っ直ぐ行って橋を渡ってすぐ左に曲がると、そこで女性のグループがベンチに座って休憩してました。 橋の手前の「不動堂」の辺りは何やら工事中で立ち入り禁止になっていました。

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大師堂の前に受付があり、大師堂、国宝大塔、大傳法堂、戻って覚鑁上人の御廟のある奥の院、光明殿の右横からは青天堂と行者堂と庭園がセットになっていて、鐘桜門をくぐって駐車場へと廻りました。 大門も見たかったのだけれど、場所がわからずいったんあきらめて、粉河寺へ行ってみました。 そこも、予定していなかったのですが、根来寺の近くまで来ると、粉河の標識が見えはじめ、もしかしてここもついでに行けそうかなと思っていました。 これまたナビで見てみると15分で行けそうです。 「なら、えいっ!」とまた出かけました。

粉河寺の方は有料駐車場しかなく、500円でした。 大門を見たとたん、ああっと高野山の大門を思い出しました。 雰囲気が胸にせまるものがあり、何ともいえず素敵な感じがしました。 参道を進んでいくと、土産物屋のおばちゃんが一人でもお客を逃がしたらあかんとばかりにあわてて「ようお参り! 冷たいお茶もあるから帰りに寄ってってよ!」と後ろから声を投げかけてきました。

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中門を通り、本堂へ着いたとたんに、紀三井寺にいる母から呼び出しの電話が入り、本堂におまいりだけして、すぐ戻りました。 診察が終わったらすぐ携帯にかけるように言ってありました。 会計で精算して、薬局に寄って薬を出してもらっているとかなり時間はかかります。

4時過ぎだったけれど、道はちょっと混み始めていて、粉河寺から紀三井寺までちょうど一時間かかりました。

それからが大変でした。 家まで帰るのに、高速乗らないで海沿いの42号線を通っていこうという、母の気まぐれに付き合い、一般道をひたすら走ることになりました。 自分で運転しないくせに、通ったことのない道を通りたがるんですよね。

あっという間に暗くなり始め、いやというほどカーブを曲がり、暗闇を凝視して目が乾燥してくるし、肩は凝るし、と、いつものコースより2時間余計にかかり、家に着いたのは23時でした。 その日一日、往復12時間運転したことになります。 

未知の道通ってみたい好奇心これが病気に負けぬ秘訣か (爽)

気まぐれにいやとも言わず付き合うは「なら、えいっ!」という娘だからこそ (爽)

根来寺と粉河寺へは、今度は母を連れてゆっくり行こうと思っています。

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道成寺

安珍・清姫の物語で有名な道成寺、その物語の「絵解き説法」があります。 毎日行われているとかで、慣れた手つきで絵巻を見せてくれました。 絵解き用の複製絵巻も8巻目だとか。 絵解きのあと、西方極楽ならぬ妻宝極楽を力説しておられました。 奥さんを大事にすることで家庭円満になるといいます。 その通りでしょうね。

境内には、安珍塚、鐘巻の跡、少し離れた住宅地の中には蛇塚があります。愛しい人を70kmも追いかけて、ついには蛇へと変身した清姫が鐘の中に隠れた安珍を焼き殺したあと、海の入り江に身を投げたと伝えられており、その入り江が、現在、蛇塚のあたりのようです。

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道成寺には、小学生のときに連れられて行った事があります。 当時、観光写真用の安珍・清姫の絵のペーパーボードがあり(顔の部分に自分の顔をのぞかせると安珍・清姫になるという代物)、その写真がアルバムに残ってます。 そのときの安珍になったのは、遠い親戚の男の子で5歳くらいでした。 一日仲良く遊んであげて機嫌良くしていたのに、帰りの電車の中で何を思ったのかいきなり私のほっぺたをつねってきました。 それも、むぎゅっとねじきったまま離しません。 あまりの痛さと驚きで私は泣き出し、叔母や母が止めに入ってやっと離してくれました。 いじめたわけでもないし、私は何にも悪いことしてません。 大人たちは、「家で(親に)やられてるんだろうか?」と話していました。 いまだに、その子がどうしてそんなことしたのか不思議です。
 
絵巻より鮮明に残る情景はほっぺつねられ泣いた思い出(爽)

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2007年9月 4日 (火)

和歌山城

和歌山城というと「石垣が綺麗だよ」と聞きますが、その石垣を見に行ってきました。 

豊臣氏から桑山氏時代の石垣は地元の緑泥片岩を使用した野面積み、浅野氏時代になり、和歌山城の大拡張工事が始められ、緑泥片岩だと板状に割れる心配があることから、和歌山市の友ヶ島から切り出した和泉砂岩で、打ち込みはぎや布積みという手法になりました。 この石には170種類もの刻印が残っており、それを見つけるのも楽しいです。 徳川氏時代にも、城の増築拡張が行われ、堀を掘ることの出来ない部分には、堅固な石垣を築くため、和泉砂岩を同じ形にそろえて布目型の高石垣が築かれました。 暑い中、なぜかお腹も痛くてそれを堪えながらみんなに付いて歩いていました。

炎天下汗も厭わず熱心に語る話に耳傾ける (爽)

Dsc00233 廊下橋
 先頃復元された、西の丸から二の丸御殿跡へ堀を渡る橋。
 屋根つきの廊下になっています。
 



Dsc00209 緑泥片岩の野面積み





Dsc00210 これは打ち込みはぎだったかな?





Dsc00216 高石垣





Dsc00208 刻印





Dsc00219 県立美術館や博物館の建物が見えます。
 時間のあるときに行ってみたい。