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2007年7月

2007年7月31日 (火)

テレビの日 !?

山登りで早起きしたので、翌朝(昨日のことです)はゆっくりしようと思っていたのに、父の呼ぶ声。 時計を見るとまだ5:45。 父の部屋のテレビのチャンネルが替わらないので見てくれという。 選挙の番組が見たいのかなぁとしかたなく起きていく。

テレビのチャンネルが替わらないというのは、リモコンが、うまく使いこなせないのだ。

ケーブルテレビと契約しているので、母と私は今までもケーブルだったけれど、父にしてみればそれまで地上波とBSだけだったのが、ケーブルのチャンネルが増えて、今まで使っていたテレビのリモコンではなく、ケーブルチューナーのリモコンでチャンネル操作するのが、7ヶ月になるけど、まだ慣れないらしい。

リモコンはこの一つなのだが、いつもボタンを押し間違えて見たいチャンネルに行きつかないのだ。
 
操作方法としては、

1. リモコンの「チューナーの電源」と「テレビ本体の電源」ボタンを押す。
2. 「入力切替」ボタンで、「色差ビデオ2」を選択する。
3. 「地上波デジタル」、「BS/CS」、「ケーブル」と3種類のボタンから選択する。
4. 見たい番組のチャンネルボタンを押す。

基本的にはこの4つを順に押していくわけだけど、「入力切替」ボタンは触らないかぎり替わることはない。

「慣れるまでまあ100回は教えたるよ。」と言っていましたが、とうに200回は越えてると思う。 だいたいいつも間違えるパターンは決まっている。 押さなくてもいい「入力切替」ボタンを押してしまっているか、「BS/CS」ボタンと「ケーブル」ボタンを間違って押しているかのどちらかなのだ。 50回ぐらいまでと、100回前後は優しく教えてあげていたけれど、200回を越えた今では・・・。

これしきのことで“仏の顔”できずこれでは修行が足りぬと自覚 (爽)

早朝からこんな具合に起こされたと思ったら、午後になって今度はリビングのテレビがおかしくなった。 数回画面が真っ黒になり、雷が鳴って部屋の電気も瞬間停電になったので、そのせいかと思って、いったん電源を消してみた。 それからしばらくして自分の部屋にいると、母が「リビングのテレビが写らないんだけど。 (父が母に)『いろいろ自分でやってみぃ。』と偉そうに言ってるんやけど」と笑いながら入ってきた。

「何やもう、今日はテレビの日か」と下りていって、リモコンボタンをあちこち押すと、チューナーの表示は変わるけど、テレビ画面には何も写らず。 チューナーのリセットスイッチを押したり、テレビ本体のボタンをいろいろ押してみたり、テレビのコードをコンセントから抜きさし直したけれど、それでも同じで何も写らない。

コンセント付近が焦げてる様子もないので、雷でもないらしい。
良く見ると、テレビ本体のボタン一箇所が赤く点滅している。

それでメーカーのサービスセンターに電話で聞いてみた。 「何回点滅していますか?」と聞かれ、数えると、規則的に5回点滅を続けている。 「それなら、ブラウン管の寿命の可能性が大きいです。」とのこと。 その機種の場合、一日4,5時間見たとして、ブラウン管は7,8年の寿命だそうです。 買ってからまだ6年、主に母が見ていますが、一日4,5時間以上はつけていると思うので、そんなもんなのかなぁ。 このリビングのはBSデジタルハイビジョンにしてからでも2台目。 そうそうブログでもこんな記事書いていました。

「1インチ 5千円」

結局リビングにテレビ無しというわけにもいかないので、早速買いに行きました。

ところで父の部屋のテレビも同じ年に買ったのだといいます。 父の方がもっと長時間見ているので(つけっぱなしで寝ているときがある)、そっちのテレビも続けて寿命が来るかも。 知らんでぇ。

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弥山・八経ヶ岳

昨日は久々の山登りでした。 行者還トンネル西口から弥山(1895m)そして八経ヶ岳(1914.9m)と向かいました。

行者還トンネルに着いたのが朝8時。 前に行者還岳(1,546m)に行ったときにはトンネルの東口に車を停めて真っ暗のトンネル内を歩きましたが、今回はトンネルを抜けた西口に行ってみたら既に22台の車が停まっていましたが、まだ置けました。

登山ノートが置いてある登山口の階段から、尾根まで一気に登ります。 空は少し曇っていましたが、そのかわり天然のクーラーが効いているといった感じで、しのぎ易かったです。 シャクナゲの木が沢山あり『大峯奥駈道出合』まで約1時間。 そこに木の切り株の椅子があり5分くらい休憩しました。 大峯は今回でまだ2回目ですが、奥駈道っていいですね。 道幅もゆったりしていて、この涼しさでは散歩にもってこいです。 バイケイソウの花がもう枯れかかりでしたが、群落になっていました。 『弁天の森』を通り『聖宝(しょうぼう)ノ宿(しゅく)跡』までは、比較的なだらかな尾根道が続き『出合』から1時間。 理源大師の像があります。 10分程度の休憩のあとは頂上まで急登50分。 日差しが出てきて少し暑くなってきました。 それでも気温は25度。

木の階段が続き、すこし足も重くなってきました。 上から降りてきた人が「もう少しですよ」と声をかけてくれました。 発電機の音が聞こえ、山小屋が見えました。 小屋のトイレを借りるには100円。 小屋の隣では公衆トイレの新設工事中。

そういえば、頂上に神社があると聞きましたが、寄ってくるのを忘れました。

早めの昼食をとり、リュックをそこに置いたまま、八経ヶ岳へと向かいました。 山の姿が目の前にあり、その頂上まで30分もあれば行けるといいます。 見た感じとても30分やそこらで登っていけるようには見えず、半信半疑でした。 オオヤマレンゲ自生地がありゲートを作って動物が入れないようにしてあります。 鹿の食害がひどいらしいです。 ここは天然記念物に指定されています。 花の時期は7月の初め頃では?と聞いていて、今年は時期を逃してしまったと思っていたのに、なんと咲いているのがありました。 4つ見つけました。 ゲートは2箇所あり、開けても自然に閉まるように斜めに設置してあります。 25分くらいで本当に頂上に来ました。 日本百名山の一つで、近畿最高峰だそうです。 八経ヶ岳は別名、八剣山、仏経岳などとも呼ばれています。 残念ながら今日のところは見晴らしは良くありません。 それでも弥山の小屋の小さな赤い屋根がなんともかわいらしく見えました。 

天気予報では午後から雷雨の可能性があったようですが、なんとか持ちました。 雨具類を完備してずっしりと重いリュックも、肩に食い込むこともなく耐えられました。 

帰りも同じルートを降りました。 登りより下りの方がすべりやすく、かなり慎重に降りていったので、結局往復ともそれぞれほぼ同じ時間かかりました。 八経ヶ岳頂上付近や奥駆道には、赤とんぼが数多く飛んでいて、まるで先導してくれるかのように周りに10匹くらい集まってきます。 

休憩時間も長くとると余計に疲れて、歩くのがいやになってしまわないうちにどんどんと降りていきました。 その分、ペースはゆっくりですが。 登ってくるときには、割と楽だった出合から登り口までは、特に長く感じました。 

延々と続く下りで「終わったらアイス食べる」と呪文唱える (爽)

水の音が聞こえ、終点が近くなってきました。 天然のこの響きで思わず汗も引くようでほっとしますね。 流れで手を洗ってお水を掬って飲んでみたら、まあなんと美味しいこと。 

鳥の声水の流れに花の色疲れた身体にぐっと染み入り (爽)
 
アイスが無くても、このお水で充分生き返りました。
今回の山行の所要時間は7時間半。 そのうち休憩時間は1時間くらい。 少しハードでしたが、心地よい疲れでした。

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2007年7月28日 (土)

串本応挙芦雪館

江須崎からの帰り道、串本で「そうだ、芦雪の襖絵が見れるところがこの近くだった!」とふと思い出し、ナビで探そうとすると見つからず、車に入れていたマップから探しだしました。 芦雪の名は、2/26、ネットで見つけた大辺路ウォーク「富田坂」に行った折に、スタート地点の「草堂寺」の前で語り部さんから初めて聞いたのでした。 丸山応挙の名は知ってたけど、芦雪は応挙の弟子にあたり、なにやら魅力ある襖絵を描いたとのこと。 その語り部さんの熱の入った解説に、芦雪という人物、またその芦雪の絵にいっぺんに興味が湧き、串本の無量寺に行けばそれが見られると聞いて、機会を見つけていつか見に行きたいとずっと思っていました。

何度か通った大辺路ウォークの度に、この串本は通るのですが、いつもウォーク終了が夕方なので、時間的に寄るのは無理でした。 今日はたまたま午前中で終わり、みんなで昼食をとったあと、温泉へ向かう人たちと別れて、何となくひとり帰ってきていました。 「まっいいか、温泉は。 家のお風呂にゆっくり入ってアイスでも食べるか」 なーんて考えながら運転中、ナビの画面を見て、「そうだ、芦雪!」と思ったのでした。

Dsc00076 案の定、そこから600mと表示が出ました。 無量寺に向かう道はちょっと狭くて車一台ぎりぎりの幅でした。 駐車場には車が2台停まっていて、「あっ、お客さんいるんだな」とお寺の中に入っていくと、そうでもないらしい。 先に本堂の方まで行ってみました。 そこらじゅう全部開けっ放しにしてあって涼しそうでした。 境内にある「応挙芦雪館」は、昭和36年に日本で一番小さい美術館として開かれたそうです。

その割に入場料 大人1000円。 うーんちょっと高い!と思ったけれど、高いからやめておくというものでもなく、入っていくと、中のおばさんが「一通りご覧になったら、芦雪の襖絵は別のところに本物がありますから、そちらへご案内します。」と言う。

入場料千円意識しいつもより時間をかけてゆっくり眺め (爽)

「はい、見終わりました。」とおばさんに声をかけると、入り口のガラス戸を閉めて、本物の襖絵があるという建物に案内してくれました。

重要文化財に指定されている「虎図」、「龍図」。 なるほど、さきほどのレプリカ(写真)とは比べ物にならないほど、本物はいい。

「虎図」はさっき見たときも思ったけど、虎というより顔は猫みたい。 おばさんがあとから説明してくれました。 「虎図」の後ろの襖に描かれているのが、ちょうど猫が鮎を獲ろうと狙っている図。 その猫の目が、この虎の目だ、というふうに見る人もいるのだとか。 ほぉ、やっぱり。 また、この虎の目は、どこから見ても見ている人を見ているという。

虎の畏怖感じぬままに睨まれても怖くはないとしばし見つめる (爽)

虎図より龍図の方が好みかと勝手気ままに二つを比べ (爽)

「猿回し」と書かれた衝立の絵があり、猿は見えない。 「もしかして、後ろ?」と回りこむと、猿の絵は裏にありました。 衝立の表と裏に猿回しをしている人間と猿を分けて描いているということは、それぞれの境地を意図しているのだろうか? などと考えていたら、これもおばさんに聞いてみると、もともとは一枚につながって描かれていたものを、衝立の表と裏にする際に切ったらしい。 それで、よく見ると綱の部分の高さが表と裏では違うのだと。 言われてみると、その通りだった。

何でも聞いてみるもんですね。 そのおばさんにいろいろと聞いてみたら、なかなかに詳しい。 雨の日は湿気が入るので、こちらは開けられないそうです。 暑くて、無量寺の団扇を借りてパタパタと扇ぎながらでしたけど、晴れてたお蔭で本物も見れたわけです。

最初に入ったところで見たものは、すっかり記憶が薄れるほど、本物の襖絵、見応えありました。 1000円の価値、充分でした。

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江須崎

熊野古道大辺路の見老津駅から近くに、国の天然記念物に指定されている「江須崎原生林」があります。 江須崎は太平洋に突き出た半島状の島になっていて、周囲約3kmです。 手前に「日本童謡の園」公園があり、紀州ゆかりの曲の碑が建てられ、その前に立つと曲が流れるしくみになっています。 必然的にその何曲かを聞きながら、江須崎へと向かいました。

島の入り口に春日神社の鳥居があり、島全体が神域とされています。 灯台が出来て、それにつながる道路を作ったことやら、台風の被害などで、森は枯れてきていたけれど、徐々に植生も回復しはじめてきたといいます。(語り部さんの話より)

森の中に遊歩道が作られていて、植物の説明を受けながら歩いていきました。 大きなホルトノキに数種のツル植物がからみついたものや、木の真ん中から弱り始めて外側に萌芽したスダジイの巨木などもありました。

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Dsc00068_2  ← 灯台 真下からだとこんなふうにしか撮れません。





Dsc00069_2  ← テイカカズラ、キヅタ、サカキカズラがからみついたホルトノキ





Dsc00073_2  ← ハマゴウ(青)、ハマナタマメ(ピンク)





次々に植物名を教えられせめて一つと覚えし「トベラ」 (爽)

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2007年7月25日 (水)

期日前投票

行かなきゃと思わずに済む期日前投票済ませ肩の荷おろす (爽)
   
投票日当日は、いつも朝から「行かなきゃ、行かなきゃ!」と、済ませてしまうまで思うので、最近の選挙ではだいたい朝行くようにしています。 ただ、他に出かける用事のないときに、投票所に行くためだけに身づくろいするのが、おっくうに感じるときがあるんですよね。

前回は、投票日にたまたま用事があったので、初めて期日前投票をしたところ、選挙の日まで「もう済んだもん!」とすごく気が楽になりました。 それで、今回も行ってきました。 当日行けない理由を聞かれますが、どうってことはありません。 やらなきゃいけないことを早めに済ませてしまうと、こんなに楽になるものなんですね。 何でもそうなんですけど・・・。 

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2007年7月24日 (火)

徐福の天台烏薬

「徐福公園」は新宮駅からわずか100mのところにあります。 熊野三山の速玉大社を目指して新宮駅で停車すると、駅構内(改札を出て左の方)に新宮観光案内所があり、そこでもらった新宮市の観光マッブを頼りに訪れる人も多いようです。

駐車場も完備しており、中国や台湾からの観光客もここは必ず立ち寄るスポットです。 バスを連ねてやってきます。

公園入り口の大きな中国風楼門が際立っています。 それと知らずに道を通っても、「なに、あそこ?」というくらい、極彩色が目立っています。 平成6年に総工費6億6千万円もかかったというものです。 それまでにも、この地には徐福さんのお墓があり、私も小学生のときに親戚の人に連れられてきたことがあります。 母はそれよりももっと前にしか来たことがないというので、昨日はひょいと行ってきました。

暦の上でも「大暑」ということで、かなりの暑さでしたが、公園には楠の大木も何本か残っており、風も少しは吹いてきていました。

楼門の次に目立つのは、公園に入って目の前にある徐福さんの銅像とその横の「不老の池」でしょう。 徐福の七人の重臣にたとえられた七匹の鯉が泳ぎ、七つの石柱が建つ石橋があります。 七人の重臣たちの塚が北斗七星の形に祀られていたことから、石柱もその形に並んでおり、重臣が有していたといわれる「和」・「仁」・「慈」・「勇」・「財」・「調」・「壮」という七つの徳が刻まれています。 この石柱を触って橋を渡ると「不老長寿」が叶えられるなんて書いてあります。 そうやって渡っていくとちょうど公園の売店の方へ向かうことになります。 ちなみに鯉は、前に数えたときはちょうど七匹でしたが、昨日数えたらちょっと多かったです。 管理人さんの話では、つい最近も卵を産んだとかで、ここでは少子化の問題はなさそうです。

数日前に紀南新聞にその売店のソフトクリームの記事が載っていました。 徐福さんが2200年前に秦の始皇帝に命じられて「不老不死」の霊薬を探しに来て、この地で見つけた「天台烏薬」がそれだといわれています。 その成分には活性酸素を除去する働きがあり、最近の研究では肺がんの進行を止める効果もあるそうです。 売店で買う300円のソフトクリームには、その「天台烏薬」のパウダーが好きなだけかけられます。 新聞を見て買いにくるお客さんも多くなったようです。 私もその一人ですが(笑)。 「天台烏薬」のパウダーは、色はコショウのようですが、特に苦味もありません。 ソフトクリームの甘さで天台烏薬の味はほとんどわかりませんでした。 天台烏薬のお茶のサービスもあり、ソフトを食べたあと戴きました。

これこそが不老長寿の霊薬か・・・かけなきゃ損と二度三度振る (爽)

そういえば、天台烏薬入りの天然酵母パンというのが、新宮の「キッチントムトム」というパン屋さんで売っています。 ついつい他のパンに目移りしてまだ買ったことはありませんが。

売店には、天台烏薬入りのお茶、お菓子、入浴剤があり、その他、徐福さんに関連する本や中国の雑貨など処狭しと置いてあります。 そこで見かけたのは「健身球」といって中国では500年くらい前からある健康器具です。 健身球を二つ掌に乗せて、五本の指を駆使して球同士をくっつけないように左右に回すことで、血流が良くなり、脳の活性化に繋がるそうです。 うまく動かすと健身球の陽と陰と音が奏でられ、癒されるといいます。

なんと天台烏薬の苗木も600円で売っています。 車で来て買っていく人もいるようです。 うちも欲しいなぁと思っています。

Dsc00040 徐福公園から阿須賀神社の方へ歩いていく途中に、「秦徐福重臣碑」と刻まれた碑があります。 塚町(現在地名は変わってしまっていますが)には、七人の重臣の塚があったといわれています。

Dsc00041 そこからくねくねと街中の細い道を歩いていくと、阿須賀神社の真ん前に出ました。 境内には「徐福の宮」があり、ここにも徐福が祀られていたようです。 その近くの熊野川沿いは、「秦徐福上陸之地」の記念碑も建てられています。

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2007年7月22日 (日)

速玉大社 扇立祭

熊野三山の中でも、速玉大社には他の二社には伝来していない名高い神像が残っています。 境内にある神宝館には、世界遺産に登録されてから重要文化財から国宝へと昇格された「熊野速玉大神」や「熊野夫須美大神」など四体の木造坐像をはじめ、1200点もの国宝や重要文化財が納められています。その中の彩絵檜扇(さいえひおうぎ)が本殿の御扉前に開帳される扇立祭が本日行われました。

7/14の予定でしたが、台風のため今日に延期されていました。 夕方5時半から神事が始まり檜扇が立てられたあと、巫女さんお二人による扇の舞もありました。

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檜扇は檜の薄板を綴じ合わせて作られた扇で、熊野速玉大社12神に捧げられた12握があります。 扇の語源が「招(お)ぐ」からきていて、御神霊を招き寄せ、降臨した檜扇に祈りを捧げるというものです。 現在、お祭りでは模写された扇を使用しているそうです。 神宝館で本物を見たことがありますが、彩色も残っており、それは綺麗なものです。 室町時代の足利義満が奉納したものを伝えられています。

境内売店では、扇絵馬や風鈴も置いていました。 ゆかた姿の人も多く、出店(夜店)も十数店並んでいました。

このあと、ミス扇コンテストや踊り大会などが特設ステージで予定されていましたが、本殿前での神事を30分ほど見て帰ってきました。

神宿る檜扇前に舞う扇祈りの風が我にも靡(なび)く (爽)

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2007年7月20日 (金)

新宮市歌

高野山の伽藍で染み透るように聴いた「高野町歌」は、作詞:佐藤 春夫、作曲:信時 潔でした。 佐藤春夫といえば、新宮出身であり、名誉市民でもあります。 それなら、新宮市にも佐藤春夫作詞の市の歌が必ずあるに違いないとHPを見てみるとやはりありました。 高野町HPには町歌の楽譜は載せておらず、手に入れるのに苦労しましたが、こちらは楽譜も乗せてありました。 

それも、作曲はなんと高野町と同じく信時 潔でした。

早速楽譜の音符を追ってみました。 う~ん・・・。 高野町歌の方がいいなぁ。 とりあえず楽譜をプリントアウトしようとセットしました。

以下、DELLのプリンターの音。

あ~なたに あ~なたに あ~なたに ・・・

tani tani tani tani ・・・

あ~なたに あ~なたに あ~なたに ・・・ (テンポだんだん速くなる)

nita nita nita nita ・・・

あ~なたに あ~なたに あ~なたに ・・・

ana ana ana ana ・・・

興味が市歌からプリンターへと。

今日もまた絶対音のつぶやきがプリント中に紙と送出 (爽)

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2007年7月19日 (木)

講座「古代熊野のなりたち」

歴史探訪スクールの一環で、昨日は和歌山県立博物館の竹中 康彦氏による講座がありました。 「古代熊野のなりたち」というタイトルです。 竹中氏によると、古い時代になればなるほど資料が少なく、研究者はどうしてもその少ない資料からイメージ先行の歴史研究となってしまいがちなので、できるだけ私説をはさまず解説したい。 そうするとあまり面白みのない話になるかもしれませんが、との前置きがありました。

面白みがない? そんなことなかったです。 この歴史探訪スクールも新宮の人だけでなく、近辺からも聴講していらっしゃる方が多く、100名くらいの人が私語をはさむことなく、熱心に聞いておられるのには、いつもながら感心します。

今回の講座はタイトルからしても興味深く、熊野に関する知識欲を充たしてくれるものがありました。

熊野信仰の日本全国への広がりとともに、熊野神社は全国各地に3000社以上も勧請されてきたと習っていましたが、これよりも以前に「熊野」という地名が出雲や丹後などいくつかの場所にあったとのこと。 また、それは、やはり奥まった地にあり、入り江などが近くにあったりして、海や湖沿岸であるそうです。

下里古墳には、つい先日行ってきました。 その際にも地元学芸員の方からの詳しい説明をいただきましたが、葺き石があった、堀があった、竪穴式石室があった、という3つの理由から、この古墳は本格的な古墳形態であり、大和王朝の密接な関係のある人のものではないか、ということでした。

それから、「神武東征」に関する記述では、古事記と日本書紀では、ほぼ同様の内容が書かれているが、「花の窟」について、少し違いがあります。(これは、4/29のブログ記事においても触れました。) 古事記と日本書紀を一緒に含めて考えるのではなく、最近では、それぞれ別個に研究すべきだという考え方になっているそうです。

浜木綿が歌に出てくるのは、万葉集ではこの一首です。 

み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも (柿本人麻呂)

この歌からも、熊野の地は温暖なところであることを証明しているとのことでした。

浜木綿の群生地としては、新宮近辺では三輪崎の孔島(くしま)が有名です。 孔島・鈴島は吉野熊野国立公園に指定されている地区でもあります。

昨年暮れにこの和歌山に来てから、花の時期には花をと、浜木綿の花が咲くのも心待ちにしていました。 「孔島で浜木綿が咲き始めた」という地元新聞記事が気になりつつも、それから一ヶ月後、今日こそはと見に行ってみると、確かに咲いたものもあるけれども、大半はまだの様子。 またそのうちにと思いつつ、また一ヶ月くらい経ってしまいました。

色も香も同じ形の浜木綿を見たいと願うは孔島ならでは (爽)

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2007年7月18日 (水)

『高野山 超人・空海の謎』

百瀬 明治さん著『高野山 超人・空海の謎』を読みおわりました。

本屋さんの前で何気なく目にとまり、ちょうど高野山から帰った後だったので、今なら一気に読めるかも、と買ったものの、読み始めが遅く、やっと読みおわりました。

その直後、5日間気になっていたパソコンのバッテリーランプの点滅も元に戻り、ほっとして、記事を書く気にもなったわけです。

九度山の「丹生官省符神社」境内に、弘法大師と2匹の犬を連れた“高野明神”の出会いの場面が大きく描かれた絵がありました。 「金剛峯寺」の襖絵にもあったし、確か「霊宝館」でも見ました。
この“高野明神”や弘法大師に高野山の土地を譲ってくれた“丹生明神”は、鉱物資源(金の精錬に必要な水銀)の産地としての高野山を弘法大師に提供してくれた山の民の中心をなす存在だったのでは、という説は特に興味深い話です。 

金剛峯寺に復元されている、関白秀次が切腹させられた青厳寺柳の間の前では、ツアーグループのガイドさんの説明によると、単に秀吉に実子が生まれたことで関白職を追われたという解説だったが、この本によるともっと具体的に説が展開されています。

空海というと三筆のひとり。 そういえば、昨年、東京国立博物館で開催された「書の至宝展」で空海の「風信帖」見たんだっけと思い出しました。 2006.2.17のブログ記事

石堂丸と刈萱道心についても触れられているが、先頃、紀南新聞で苅萱堂には石堂丸の母が後生大事に持っていた「人魚のミイラ」があり、安置されているという記事が載っていました。 その話は知らなかったけれど、記事によると熱心な参拝者には特別に見せてくれるらしいです。 う~ん見たかったような、見なくて良かったような・・・。

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なかなかに歌のヒントも見つからず波のざわめき聞こえるばかり (爽)

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2007年7月14日 (土)

ちりも積もれば・・・Part 5

2005.7.17 のブログ開設以来、よみあげた短歌 とうとう500首を越えました。 そこで、恒例の100首ごとのベスト10、今回も選んでみました。

☆ 401~500首のベスト10
  
遠目にもほんのり目立つやまざくら近寄りてなおほんのり色づく
                                      
大辺路(庄の坂越え)より

降りしきる雨にもめげず小雲取越えてゆかんと六根清浄
                                         
ヤッホーポイントより

故郷の海山めぐり今にして望郷詩人の想い重なる
                                          『望郷五月歌』
より

満開の「花よどこよ」と巡るのも「あれここにも」と出合うも嬉し
                                  
 桜がまだあった (桜 Part 9)より

知られざる古道探して刈り開く人の苦労と意地に乾杯
                                        
 大辺路(長井坂)より

神倉の掃き清めたる石段の清々しさに意気も生まれる
                                          今日の神倉さん
より

上り坂登り終わって咲く花にほっと和んですっと汗引く
                                            
 子ノ泊山より

美味しいと眦(まなじり)下げて頬上げて恵比寿顔にてはいご馳走さん
                                           枇杷と黒うに
より

手の中にぽおーっと光る宝物小さな命に愛しさ感じて
                                            ホタルこい
より

古道沿い一から始まる道標に合わせて気分も一にリセット
                                              大日越
より

   ☆ 001~100首のベスト10  ⇒  ちりも積もれば・・・
   ☆ 101~200首のベスト10  ⇒  ちりも積もれば・・・Part 2
   ☆ 201~300首のベスト10  ⇒  ちりも積もれば・・・Part 3
   ☆ 301~400首のベスト10 ⇒ ちりも積もれば・・・Part 4

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友だち100人 !?

こちらに来て7ヶ月が過ぎました。
「 一年生になったら」の歌で『友だち100人できるかな』という歌詞がありますね。 私の場合、学生でもなく、仕事で転勤というわけでもなく、微妙に半端な年齢で、両親の故郷に移り住むことになり、友だち100人作るのはとても無理、10人だって、1人だって難しいだろうと思っていました。

だからといって、家に閉じこもっていてもしょうがないので、自分から積極的にいろんなところへ出ていこうと考えていました。 この機会に興味のあることを勉強したりするのもいいなと講演を聞きに行ったり、新聞で参加者を募っていたウォークに参加してみたりと。

最初のきっかけは、地元新聞で見た「亥谷山登山参加者募集」の記事でした。 このブログにも何度も書いていますが、元気に山歩きをする70歳代の年配の方たちの姿を見て、自分もこれではダメだとまず体力(健康)作りに目覚めました。

軽登山靴を買って、お天気さえ良ければ、そこらじゅう歩いて買い物に行ったりするうちに、また別のウォーク(催し)に参加したりして、徐々に、顔見知りの人が増えていきました。 「また会いましたね。」と声をかけてくれる人も出てきました。 慣れない山歩きで、慎重すぎる足運びを見て、歩き方のアドバイスをしてくれる親切な人もいました。

そうこうしているうちに、自分がしたいことも見えてきて、方向が定まってきたように思います。 いくつかの山のグループや語り部の会、勉強会などに定期的に参加するようになり、おかげ様で友だちといえる人も出来て、知人(名前と顔がお互いに一致して話せる人)となるとかなりの数になると思います。

七ヶ月友だち100人は無理だけど顔見知りならその数いくか (爽)

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その車おいてかないでとすがりつく真っ暗闇の中辺路ルート (爽)

中辺路の道路は外灯もない山道で、暗くなると空と山の区別がつかなくなり、そのまま異次元に入ってしまわないかと怖いです。

中辺路ルートも和歌山へ行く高速も、友だちが教えてくれて最初に一回一緒に行ってくれました。 最近パッタリ連絡してくれないけれど、どうしているのかな?

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そして今日、

台風で出かける予定も中止となり久し振りに家事を手伝う (爽)

さあ来るぞ暴風警報発令で窓の向こうの高波気になり (爽)

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ステッキ(杖)

先日和歌山へ行った折に、紀三井寺の「好日山荘」に寄ってきました。

「好日山荘」という名は、山登りをする人たちには有名らしく、日本で初めて大正13年に作られた登山用品店がこの「好日山荘」(大阪)だったそうです。

このあたりからも、登山用品は紀三井寺のこのお店かあるいは大阪まで買いにいく人が多いようです。 ちょっと遠いのですが、品揃えが豊富で、手にとって見ることができ、選べるからという理由からです。 地元のスポーツ店は、近いのはいいのですが、カタログ注文で日にちはかかります。

今回は、「ステッキ(杖)」を見に行きました。

古道を歩くときには、誰でも利用できるように、古道の入り口付近に木の杖が用意されています。 古道の保全・管理といった面からすれば、山用のステッキで突っつかれるより木の杖の方がいいといいます。 それでも、山歩きをする人はほとんど自分のステッキを持っています。

登山用品で最低限必要なものを揃えるとしたら、まず靴、リュック、雨具、ウェア、次にステッキ(またはスティック)が来るのでしょうか。 私も、「次買うならステッキだよ。 一本は自分のを持ってた方がいい。」と何人もの山仲間から言われていました。

杖は、お店の人に聞いて初めて知ったのですが、二本用との一本用のはまず持ち手の形が違うんだそうですね。 ただし、二本用のを一本だけ持っても良いとのこと。 杖は身長に合わせて伸ばして使うけれど、杖によって伸ばせる長さが限られているので、身長がある人は長いほうがいいそうです。 私の場合、杖を使うとしたら下りです。 そうすると、足元より低い地点にステッキを置くので、その分、長い方がいいという理屈も実際に店内で試してみると納得できました。 最新のものは長さ調節の際のロックの仕組みや、中にバネが入っていたりと、値段によっていろいろです。 一人で行ったので、お店の人に「どれがいいでしょう?」と聞くと、「う~ん、あとは、どこで妥協するかですね。」と言われました。

それほど壊れるものではなさそうだけれど、私の場合、めったに使うものでもありません。 三ツ森山~半作嶺からの下りの際に、ひざが痛くなり、同行メンバーが急遽杖を作ってくれて助かりましたが、それ以外には、使ったことはありません。

山仲間からこんな話も聞きました。 メンバーの中に途中で歩けなくなった人がいて、リーダーから杖を貸してあげてと頼まれて貸したら、それが壊れちゃったそうです。 そんなこともあるので、人はなかなか貸してくれないものだから、自分の杖を持ってた方がいいよ、ということでした。

結局、ステッキ一本買いました。

何事も自己責任の名のもとで杖も携帯用心のため (爽)

年に一度のセールということで、他にもあれこれ買ってきてしまいました。

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2007年7月12日 (木)

パソコン不具合

どうしてこう、パソコンって、突然調子が悪くなるのでしょう?
昨夜から、バッテリーランプの1がオレンジ色のチカチカ2回ずつ点滅したままです。
バッテリーの寿命なのでしょうか、それともどこかの故障寸前?
パソコンに詳しい人がそばにいないので、困っています。
ネットで探しても、イマイチ見つからないし、肩も凝ってきました。
このあたりの電気屋さんもあてにならないし・・・。
ああ、それに台風の影響で外は土砂降りで、雷もときどき鳴っています。

パッタリとパソコンが止まってしまうのでは?とヒヤヒヤ状態で書いています。

というわけで、しばらく記事の更新、コメントへの返事、またメール送受信ができない可能性があります。

ああ、困った、困った。

災害のように突然やってきてあわてふためくパソコン異常 (爽)

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2007年7月10日 (火)

海沿い42号線

昨日は用事で和歌山方面に行ってました。 朝8時に家を出て中辺路を通り、みなべから海南までは高速(阪和自動車道)に乗り、片道約4時間(うち休憩が20分程度)かかります。 高速といっても対面通行なので法定時速は70km、追い越し車線は一部区間にあるだけです。 途中湯浅御坊道路になり、その部分の法定時速は一応60kmと表示されています。

高速はやはり便利だと何度聞かされても、「速い・怖い・危ない」のイメージが強く、ここに来るまでは自分で運転したことがありませんでした。 和歌山県に来てから、どこへ行くにもやはり車でないと不便で、阪和自動車道も今回で自分で運転するのは2回目です。

行きは印南のサービスエリアで小休止、帰りもと思ったら、逆方向はサービスエリアはないのですね。 両側に同じようにあるのかと思っていました。

帰りは高速下りるともう暗くなってきていたので、真っ暗い中辺路の山道を運転するより、時間がかかっても42号線をまっすぐ行ってみました。 海側のルートでこちらの方が、道路沿いにGSやコンビニも多く、しかも時間的には(私の運転では)それほど大差なく帰ってこれたので、今度から暗くなったらこっちの道の方がいいと思いました。

大辺路ウォークで歩いた富田川、日置川沿い、すさみ、見老津、和深、そして串本、姫を通り、先日の下里、市屋、湯川と、地名を見るだけでもウォークの時の思い出などが浮かんできました。 明るい時間帯だったら海が見えてなおさらだったでしょう。 

やはり日帰り8時間運転はしんどいので、次回は白浜あたりに一泊してこようかと考えています。

我ながらたくましくなったもんだなと隈の熊野の7ヶ月かな (爽)

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2007年7月 8日 (日)

にっぽん丸

今朝、下里に向かう途中、海の向こうに大きな船が見えました。 そのときは車を走らせていたので、船が停まっているのか、こちらに向かっているのか判断できませんでした。

夕方、新宮港にまた寄ってみました。 そうしたら、ありました、にっぽん丸がとまっていました。

船内を見学することはできず、やっぱり大きいなぁと船体の端から端まで歩いてみると244歩でした。 家に帰ってきてから一歩を計ってみると約68cm。  ということは166m。 にっぽん丸のHPで確かめると全長166.6mと書いてありました。

7/2に横浜を出て、屋久島、平戸、そして新宮と周り、明日9日に横浜へ戻るクルーズだそうです。 いいですね。 旅行代金は30万円近くからスイートルームなら102万円!

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初めての豪華客船その雄姿カメラ画面に斜めに押し込み (爽)

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下里探訪

那智勝浦町下里には、数多くの名所があり、地元の研究者や専門家の解説や講演を聞きながら廻ってきました。 天気予報では20~30%の降水確率でしたが、雨に降られることもなく、暑い時節柄、ウォーク少な目で車に分乗しての移動でした。 まあ、それでも万歩計は8000歩を示していましたが。

朝9時に集合場所へ行ってみると、大辺路2DAYウォークの時にお世話になったグランドデザイン2班の方々がスタッフとしていらっしゃいました。 「久し振り~」と声をかけてくれたのも、そのメンバーのひとり。 初めて会ったのは忘れもしない亥谷山。 はぁはぁ言う私の後ろをずっと歩いていた人で、ゴールした時に「よう頑張ったね、一番頑張ったよ!」と褒めてくれた人です。 それ以来、あちこちのウォークで(ほぼ毎回)ばったりお会いして、やあやあと声をかける仲です。

今回のウォークも新聞に載ったのは3日前でした。 参加無料で事前申し込み不要という参加者にとっては気楽なものでした。

コースは「下里古墳~太田川河口のハマボウの郷~紀南教会~懸泉堂~佐藤春夫墓所~正和荘(峨洋楼跡)~ふところ山~ぶつぶつ川」で約4時間の予定でした。

<下里古墳>
Dsc01363 こんなところに約1600年前に作られた古墳があるとは! 全長50mの前方後円墳です。 紀南地方で前方後円墳があるのはここだけで、国の史跡に指定されています。 仁徳天皇陵(最近では大仙古墳というそうです)の約1/10。 どなたが祀られているのかはまだわかっていないそうですが、相当の勢力を持っていた人物だろうということでした。

<ハマボウの郷>
Dsc01369 Dsc01367 和歌山県にはハマボウの群生地が3ヶ所あり、御坊市と湯川のゆかし潟とここ下里の太田川河口だそうです。 太田川と並行して流れる江川沿いに約2500本ものハマボウが群生しています。 ハマボウは護岸工事などで少なくなり、県のレッドデータブックの準絶滅危惧種に指定されており、「取り木」をして有志の方々が保護に努めておられます。 ハイビスカスの仲間で一つの花は一日しか咲かないそうです。 一本の木に蕾はいくつもあるので、7月一杯は黄色い花が楽しめます。

<紀南教会>
Dsc00009  ← 教会の手前は「ハマボウ」
新宮市の名誉市民となっている西村伊作さんの設計によるキリスト教会です。 外観は新宮にある西村伊作記念館にどこか雰囲気が似ています。


Dsc00007 Dsc00006 Dsc00008  ← 教会内部と庭の「フウセンカズラ」





<懸泉堂、正和荘(峨洋楼跡)>
Dsc00013 この下里の地区は私塾があり、多くの逸材の育成に功績がありました。 「懸泉堂」の方は、佐藤春夫のお父さんの家で、洋館の方で医院を開いておりその隣の日本風の建物の方で塾が50年ほど続いていたそうです。 「峨洋楼」は新宮藩の藩医だった伊達家が開いた塾です。


<佐藤春夫墓所>
佐藤春夫のお墓は東京と京都の知恩院、そしてここ下里と3箇所にあるそうですね。

<ふところ山>
Dsc00015 Dsc00019 街中から5分で登れる小さな山です。 展望所からは下里水路観測所や、立石(沖の岩)も見えます。




<ぶつぶつ川>
Dsc00023 日本一短い川で10mあるかないかの可愛い川です。 水は山から流れてきてぶつぶつ湧くようにしみ出してきているところから「ぶつぶつ川」と名付けられたようです。 玉の浦海水浴場のそばで、玉の浦は万葉の歌にも詠まれた遠浅の浜です。 せっかくだから浜も歩いてくるんだったなぁ。

今日も新しい出会いや発見があり、有意義な一日でした。 感謝感謝。

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道すがら目に鮮やかなヒネムの木了解とってまじまじと見る (爽)

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2007年7月 7日 (土)

和歌山県世界遺産の日

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのが、2004年7月7日。 和歌山県では今日7/7が世界遺産の日、7/1から7/7までを世界遺産週間とされています。 毎日いろんなイベントが催され、初日7/1には、高野山町石道ウォークに参加してきました。 そして登録3周年の今日は、本宮で午後からまず、和歌山県出身の歌手、佐野安佳里さんによるコンサートがありました。 熊野をイメージされた『祈り』という曲があり、その曲も含めて1時間たっぷりピアノ弾き語りを聴かせていただきました。

その後、世界遺産センターの3人の講師によるセミナー「世界遺産の魅力~祈りの道と文化的景観」が90分あり、こちらはけっこう中身が濃かったです。 講師の先生方はセミナー順に、学者、役者(後鳥羽上皇に扮した)、指導者と三者三様の持ち味で楽しめました。 聞いてる私は、修行者、てなわけです。

それから会場内で餅まきもありました。 思いがけず17個も拾いました。 自分の分1個だけを残し、あとは全部何人かの人たちにおすそ分けしてあげました。

会場内には、3周年記念缶バッチを作るコーナーがありました。 簡単に作れそうな機械があって眺めているとスタッフの人がやり方を教えてくれました。 これも自分の分と、今ボランティアでピアノを教えに行っているので、そこの生徒の分と作ってきました。

そうそう、温泉コーヒーもいただいてきました。 つい、砂糖・ミルク両方入れてしまいましたので、ほとんど温泉水とはわかりません。 本宮大社の近くにも温泉コーヒーが飲めるお店があり、何も入れずに飲むと「へぇ、こんな味なの」と一風変わった味です。 ぜひお試しを。 

餅まきで気分はいたってつつましく空中戦で俄然ハッスル (爽)

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2007年7月 5日 (木)

高野山へ(5)・・・明珠在掌

Dsc01285 ← 九度山 慈尊院近くの “紀の川”




Dsc01287 ← 金剛峯寺境内の樹齢300年といわれる “シャクナゲ”




Dsc01308 ← 金剛三昧院そばの “ヤマボウシ”




Dsc01316 ← 伽藍 三昧堂前の “西行桜”




Dsc01349 ← 高野山町石道にあった “オカトラノオ”




Dsc01354 ← 高野山町石道にあった “ハナイカダ”
   こんなの初めて見ました。



その他、ネムノキ、ササユリ、シライトソウ、ヤマアジサイが綺麗でした。

道瑞の花をも愛でるゆとりかな人生思い煩うなかれ (爽)

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2007年7月 4日 (水)

高野山へ(4)・・・行雲流水

高野山四日目の朝、6:30からのおつとめとその後7時からの護摩祈祷に参加。 日本人私一人、外国人五名。 恵光院でのおつとめでは最後にお焼香を、護摩祈祷の最後にはご本尊におまいりするときに、「じゃあ、日本人の方から」と言われ、日本語が通じているだけなんだけどなぁと思いつつも、これでいいのかしらとなんとかやりましたが・・・。

部屋に戻ると7:45、朝食の用意がされていました。 今日はもう午後には高野山を出発して自宅に帰ります。 一通り予定していたところはすべて廻りました。 あとは奥の院で見過ごしてしまった曾我兄弟供養塔と重要文化財に指定されている上杉謙信の霊廟を見て、お土産をちょっと買って、早めにお昼を済ませてから出発する予定です。

Dsc01362 Dsc01361 恵光院から歩いて大円院に向かいました。 ここには滝口入道と横笛の物語の横笛ゆかりの梅の木と井戸が残っています。 門から覗いたらそれが見えていました。 境内に入ってお寺の人に声をかけてから見せていただきました。 「上きしや」の「焼きもち」と「かさ國」の「みろく石」を買ってきて、宿坊は9時半にチェックアウト。 

それから奥の院へ向かい、この間は一の橋から入ったので、今度は中の橋から入ってみようと中の橋の駐車場に向かいました。 途中、ふと高野山町商工会の建物が目に入り、そうだ、高野山町歌のこと、もう一回尋ねてみました。 最初は「ここにはありませんね。 役場ででも聞いてみてください。」と言われたのですが、宿坊から役場の方に直接聞いてみてもらったけどわからなかったとそれまでのいきさつをお話すると、「こちらから役場に聞いてあげましょう。」と待ってました。

町石道ウォークに参加してたことなど話していると、そこにおられた方もスタッフとして参加されてたとのこと。 その方といろいろと話がはずみました。 伽藍で初めて町歌を聴いて、あのメロディが忘れられずにいたことや、音楽関係や観光の仕事に携わっていることなどを話していると、もしかしてその歌われていた人は「○○さんではありませんか?」 「いえ、お名前は聞いていないんです。」 「いくつぐらいの方でした?」と年恰好から推測されて、どうもその方を直接ご存知らしく、電話をかけて聞いてくださいました。 「もしかして、二日前に伽藍で町歌を歌われました?」と。 そうしたら、ドンピシャ、その方本人でした。 その時の歌声からここまで訪ねてきた人がいると聞き、その○○さん本人が楽譜をもってきてくださることになりました。 だめもとで聞いたのですが、ここまでトントン拍子に運ぶとは、思いもよりませんでした。

そして数分後に車で現われた彼女は、そう伽藍で聴いた歌声の方でした。 「あっ、やっぱりあのときの・・・。」と私の顔も覚えてくださっていました。 「わざわざ楽譜をもってきていただいて恐縮です。」とお礼を言うと、「私の方こそ、こうやって探していただけて嬉しいです。」といってくださり、「どこかまだ山内廻られるのでしたら、少し歩きながら話しましょうか?」と奥の院の見てなかったところを一緒に歩きながらお話させていただきました。

いろいろとおしゃべりしているうちに年齢や学校のことまで話してくださり、そこから今回の旅のコースなどのアドバイスをしてもらった友人と高校の同級生だったことが判明しました。 また、二日前の伽藍でお会いしたときに一緒にいらっしゃった方はご主人さまで、やはり同級生、そこまで聴いて、「え~っ! ということは、ちょっと待って、ちょっと待って。」と動悸が早くなり、生唾を飲み込み、「もしかして、ご主人さまはお寺の修復とかされてらっしゃる?」 「ええ。」 「ええっと、じゃあ、あのぅお宅の電話番号は××××?」 「そうです。」 「私ね、伽藍で初めてお会いしたときから、言葉の端々から、もしかして、もしかしてと思ってたんです。 実は、友人が高野山でもし何か困ったことが起きたら、この人に連絡するといい。 自分の高校のときの同級生で、今はお寺の修復などを手掛けているといって、家と携帯の電話番号を教えてくれたんです。 それで、『△△です』と名前を言えば通じるように口添えしておくからと言われてたんです。」 「ねぇ、じゃ主人に(電話)かけてみて!」とそこから携帯へ電話してみました。 私の名前を言ってもわからない様子で、その友人の名前を出して、紹介された話をすると「それいつの話?」 「2週間くらい前だったと思います。」 「聞いてないなぁ。 1ヶ月くらい前にメールもらったきりだよ。」と。 ひょんなところからひょんなことが判明しました(笑)。

それから、伽藍で高野山町歌を歌って欲しいとお願いしてみると、「ここでも同じよ。」と奥の院で歌ってくださいました。 「実は、楽譜を早く手に入れたかったのは、伽藍であんなに声が響くものなのか私も試してみたかったんです。」と正直な気持ちを話すと、「じゃあ、今から伽藍に行きましょう。 行って歌ってみましょうよ。」と誘われて、その気になり、試してきました。 ただ、最近歌っていなかったり、この数日間、寝不足と極度の疲れで声は出ないのはわかっていました。 それでも、試すことができて良かったです。 ああ、自分もたまには歌わなきゃだめだなぁと反省もしきり。

それにしても自分の直感の正しかったこと、それに私の粘り勝ちというか、今回の旅ではいろんな人と巡り会い、助けられたりして、本当に嬉しいやらこれも御仏のなせる技かと(笑)、ただただ有難く思っています。

それに、梅雨時だというのに、ほとんど雨にも降られず、小雨が降ってきたかと思うと、5分もしないうちにやんだり、宿坊に着いてからざーっとどしゃぶりになったり、今日はこれだけ降って曇っていたら一日雨かなと外にでたら、傘もささないうちにやんでしまったりと、本当にお天気にも恵まれました。

町石道ウォーク参加と高野山に3泊することを決めたころには、季節(梅雨)のことなど考えもしませんでした。 いよいよ旅行前日に、「山の上は霧が出ることも多いから、運転に気をつけて」と友人に言われてから、そうだ、今って梅雨だったと思い出したぐらいです。 だから、着いた日から、お天気のいいうちにできるだけ廻っておこうと早め早めに予定をこなしたおかげで、時間も気持ちもゆとりができて、いろんなことが起こったのだと思います。

行く雲の風に吹かれてふわふわと気ままに浮かぶ無心のゆとり (爽) 

彼女からのお薦めのランチのお店「さんぼう」で、花篭弁当(これも精進料理、2100円)を食べて、帰途へ。 行きと同じルートを使い、3時間で帰ってこれました。 遠いと思っていた高野山も、こうして来てみれば近く思えてきて、これならいつでも行きたいときに行ける!案内だって出来そう!と